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1998年 フランスW杯旅行記 I

1998年 フランスW杯旅行記

日の丸
ナントの競技場に日の丸がひろがる、ハーフタイムのワンシーン。
青空とのコントラストがキレイでした。

PART I 旅行日記

憧れのワールド・カップ。そして夢にまで-例えでなく本当に-見た、日本の出場。そして私にとっても、初めての海外旅行となりました。

もちろん日本の3戦とも観戦したかったのですが、予約がとれた旅行会社のツアーの都合上、第2戦のみの応援となりました。

そして、いよいよ開幕。
今まで何度も見てきた開幕式ですが、今回はとても特別なものに見えました。それはやはり、日本サッカーに新たな歴史を刻むものだったからでしょう。

しかし、この開幕と同時にチケット不足問題が発覚。出発前に大騒ぎとなりました。
私が旅行会社から「観戦ツアー中止」の連絡を受けたのは、日本代表が歴史的第1戦を戦え終えた日の朝でした。
しかし私たち姉妹は、旅行会社の「ギリギリまでチケット確保の努力をする」という言葉を信じ、また「行ってしまえば現地でどうにでもなるだろう」という楽観的観測のもと、友人・知人・両親など、私たちの行動を知るすべての人に心配を掛けつつも出発をしたのです──

1998/8/31 作成


1日目(6月18日)-フランスへ

空からオランダを臨む飛行機で乾燥しすぎて、私も妹も鼻水が止まらない状態になりつつ、パリ入り。この日郊外のホテルに入ったのは現地の夜9時近く。夕食のため近所のマクドナルドへ。しかし「パリはどこでも英語が通じる」という話に反し、「エッグマフィン」が通じずショックを受ける。
軽めにしようと思っていたにも関わらず、しっかりセットメニューを食す羽目に(言葉が通じないのでメニュー写真を指差した結果^^;)。旅の先行きに不安を覚える。

マックのメニューは、基本的には日本と変わらないが全体的には豊富。しかしビッグマックが日本の倍くらいの値段だったのではなかろうか。
パリは予想外に暑く30度を軽く超えていたが、ホテルには冷房設備がなく辟易した。早くも寝不足だ。

2日目(6月19日)-自由行動

オペラ座旅行会社が手配してくれたバスで市街地へ。30分という話だったが、道路が混んでいたうえパリの道路は一方通行ばかりで、目的地を目の前にしつつぐるぐる回らなければならない。2時間もかかってしまった。電車でも1時間かからなかったはずだ。時間がもったいなかったが、おかげでバスの中から市内観光ができた。映画のごとき街並みに、パリに来たことを実感する。

パリ三越の前で降ろしてもらったので、そのまま買い物をする。主にワールドカップ・グッズを中心にお土産ものを探す。店員さんは日本人が多く、日本人以外のスッタフでも日本語が通じるので安心して買い物ができる。

その後、オペラ座を見てからパリ名物メトロを初体験したが、お札が使えず難渋する。しかも切符売りのおねーちゃんが超感じ悪くて不愉快。メトロは車両が小さく、一駅区間が短いので、遠そうでも案外早く目的地に着く。しかも、どこまで行っても8フラン(約180円)均一。日本の鉄道にも見習って欲しいものだ。

おじさんと凱旋門駅に到着。地上へあがるとシャンゼリゼ大通りだが、高い建物もなく道幅も広いので、とても広く感じる。凱旋門は想像よりも大きくキレイであった。しかも天気がよかったので、青空に栄える。

凱旋門前で現地のおじさんにナンパされた。日本語で「コンニチハ」と話し掛けてきたくせに、「ジャポネーズ」と知ると驚いていた(笑)。写真やビデオを撮ってくれるのは有り難かったが、自分もやたら写りたがる。しかも「このあとエッフェル塔に行く」と行ったら着いてきそうになって、追い払うのに苦労した。変な日本語と英語とフランス語でしかし、どうにか意志の疎通はとれるものだ。
そういえば「ちう」もされたっけ。きっと今も日本人の女の子を見れば、同じ事をしているのだろう。今では良い思い出だ。

当初のエッフェル塔行きは時間的な都合から断念、シャンゼリゼを歩いてコンコルド広場へ向かった。昼食をとっていなかったこともあり、カフェで一服と行きたかったが、どこも満員だったため公園でクレープとコーラを食べる。「アン・ショコラ(チョコクレープひとつ)、アン・コカ(コーラひとつ)、シルブプレ」のカタコト単語のフランス語が通じ、安心する。初日のショックから少し浮上した。

コンコルド広場にてエッフェル塔よりもコンコルドの方が近いだろうと思って歩き出したが、大きな間違いだった。花のシャンゼリゼだというのに、買い物どころがウィンドーを見る余裕もなくひたすら歩いた。シャンゼリゼは長い、しかも暑いし、とにかく疲れた。
街路樹の一本一本に、W杯参加各国の国旗を飾ってあるのが印象的。日本国旗を見つけたときは本当に嬉しかった。

この日の夜には、オプショナル・ツアーの「セーヌ河ディナー・クルーズ」が控えていたため、着替えるために早めにホテルに戻る。
はずであったが、まず間違って急行電車に乗ってしまい、目的の駅を通りすぎて一つ先の駅で折り返し。やっとたどり着いた本来の駅で方向を見失い、なんと迷子になる。同じ電車に乗っていた関西からの日本人サポーター君たちが、偶然隣のホテルであったため一緒に歩いていたが、4人で2時間近く彷徨い歩いてしまった。

やっとのことでホテルに着いたのはツアーの集合時間であった。添乗員さんを待たせて着替え、3人で駅まで走る。10分しかかからなかった(2時間も彷徨ったのは何・・・)。おかげで船の出発時間にも間に合う。

セーヌ河からエッフェル塔を臨む船着き場はエッフェル塔の横。絶好のビューポイントだ。
船は各ツアーの日本人を集めた形になっていた。生バンドも入っていて、船の中は盛りあがっていた。食事の量は多くはなかったが、なかなか美味しかった。しかし少し胃にもたれるものが多く、残してしまった。無念。(結局、フランス滞在中唯一のまともな食事であったのに。)
食事の中ほどで船が出発。段々と暮れ行くセーヌ河を2時間かけてのクルージング。途中、自由の女神があるはずの場所にあった、「東京に出張中」(お台場にある)のような日本語の表示には笑わせてもらったが、古い街並みや橋が続き、夕日に映えてキレイだった。

隣近所の席になった若夫婦方とも旅のお話をしたりしたが、彼らは私達のJAL直行便をとても羨ましがっていた。話によると、モスクワ→バルセロナ経由で20時間近くかかってパリへやってきたらしい。その上試合が見られるかどうかわからない。タイヘンだ。「お互い抽選が当たるといいね」と言って別れた。
ホテルに戻ったのは0時も回っていたが、翌日はナントヘ向かうため朝が早い。ゆっくり寝ている暇もないうえ、暑くて寝苦しい。体がもつか心配だった。

3日目(6月20日)-試合観戦 クロアチア×日本

ナントの街角4時半起床。6時半の出発に向けて荷作りと朝食をすませる。昼食を食べている余裕がないということなので、朝食のバイキングから食べ物をくすねてチェック・アウト。いよいよナントへ向けて出発だ。ツアーの皆さんは大人しく静かな方々ばかりであったが、服装はレプリカユニフォームに身を包んだ立派な青い一団。静かに闘志を燃やしているようで微笑ましい。

バスに乗り込んでから少し経って、運命の抽選結果報告。前日の夜中、ツアー参加人数に満たない観戦チケットの抽選会が行われていたのだ。結果は一緒に行った妹が当たり、私は外れてしまった。当然かなりのショックだったが、妹の方が泣きそうな顔をしていたので、平静を装うことにした。(成功していたかどうかはわからない。当時の気持ちを思い出すと、今でも涙がにじむ。)ダフ屋に高額を払うのも馬鹿らしい─以前にお金が足りそうになかった^^;─ので、広場の大スクリーンでの応援を決意した。

ナントヘの道筋の殆どは絵に描いたようなヨーロッパの田舎町、田園風景であった。高速道路の横、有刺鉄線1本隔てただけのところに牛の群れが。牛牛馬また牛。驚いてしまった。絶対牛がらみの交通事故が起きているに違いない。

競技場・キックオフナント到着予定時間になったころ一つの街に入ったが、突き抜けてまた高速にのった。様子がおかしいぞ、と思っていたら添乗員さんから説明が。ナント(しゃれにあらず)、運転手さんが高速出口を間違えてしまい、時間をロスしてしまった! 私がナントだと思っていた街は全然違う街。しかも、狭い道をぐるぐる回っていたおかげで、すっかり車酔い・・・。

予定より1時間遅れてナントに入ったが、道路規制などで路が混んでいたため、大スクリーン会場─スタジアムから1時間近く離れたさらに郊外らしい─に抽選に漏れた人を運んでいる時間がないとのことで、全員とりあえずスタジアムで下車することに。大スクリーン組みはそこからトラム(路面電車)で会場に向かうが、それでも40分かかる。しかも駅も混んでいるという事情から私は、キックオフまで1時間しかないのにとても間に合わないと判断。ダフ屋相場も値崩れを始めたとの情報が入り、急遽自分と妹の有り金をかき集めて、ギリギリまでダフ屋との交渉にかけることにした(先の決意はどこへやら)。

駐車場を抜けながら、日本から用意してきた「チケット譲ってください」(フランス語&英語)と書いた紙を出していると、恐ろしいほど早く反応があった。通りすがりのお兄さんが、耳を疑うような値段で話を持ち掛けてくる。どうやら友人が来れなくなったと言っていたようだ。インチキ臭い英語で交渉。これが通じるので驚いてしまうが、私達もとっさに意外と喋るものである。ともかく、同じツアーの男の子2人組みも手伝ってくれ(この2人も当選組)、4人がかりでニュースでお馴染みになった透かしの確認などをし、チケットは本物と判断。労せずしてチケット入手!!

競技場・終了後命懸けで高額なチケットの購入に奔走していた旅行会社の方々に申し訳ないので、具体的な値段はここには書かないが、抽選に当たった人が旅行会社にチケット代として払った額より安かった、とだけ言っておく。しかもチケット額面は旅行会社のものの3倍くらいで、特設バーでの飲み放題パス付き(らしい。そこへ一人で行く勇気がなかったので、このパスの使用法は未確認)。抽選に外れた時は悲しかったが、私が一番得をした、ということになった。

スタジアムはとても広々としてキレイだった。中に入るまでに3箇所も検問がある。持ち物検査で、投げて危険がありそうなものは取り上げられる。ペットボトルの蓋、リンゴまで問答無用で捨てられる!(中身の入ったボトル本体の方が危険だと思うのだが・・・食べ物を粗末にするのもいかがなものか。)
案内のお嬢さんにチケットの見方と入場口を聞く。きちんと日本語ができるスタッフが用意されているのだ。「あなた日本人?」というほど流暢な日本語を喋られる。しかもウィノナ・ライダー似のキュートな美女!(関係ないけど^^;)それらをくぐって席につくとすぐに選手入場。やはりスクリーン会場まで行っていた時間があるとは思えない。チケット購入に時間がかからずラッキーだった。ちなみに、私の両隣にはチケットを譲ってくれた方達が座っていた。ダフ屋ではなく、本当にただの地元のお兄ちゃんだったのだ。

聞き慣れたニッポン・コール。見慣れたウルトラス・ニッポンの大旗。振り慣れた青いビニール袋。これをフランスという地で、W杯という舞台で目の当たりにする機会に恵まれるとは──。青空にバックに響く君が代を聞きながら、涙が出そうになった。

ツアー集合写真試合は総じて日本が圧しており、有利のよう見えた。現場では。内容的に勝っていた試合で、結果負けてしまったのが悔やまれたが、舞い上がっていたのか、実際には試合のことをハッキリとは覚えていない。が、両隣の地元の方々も日本を応援し、時には日本のサポーターよりも早く「ニッポン」コールを始めてくださったのは嬉しくもあり、印象に深く残っている。

彼らの会話を聞き取れた範囲では、中田選手、井原選手、相馬選手、中西選手が多く登場したようだ。大体は「×番の選手がいいねー」というように背番号で語っていたが、「ナカタ」は名指し。ヒデの知名度とレベルはやはりそれほどのものかと、改めて感心させられた。エースケは茶色の頭の選手と言われていたようだ^^;。言われた方が「ナカタ?」と答えると「違う、8番じゃなくてー」という感じ。なんとなく可笑しかったが、異国の地で日本の選手について語り合われているのも嬉しいことだった。
彼らは日本のサポーターと一緒になって応援し、日本のチャンスには立ち上がって叫び、シュートが外れれば頭も抱える。レベルの高いサッカーを見慣れた人達を熱くさせる何かが、確かに我らが日本代表にはあったのだと思いたい。

この日はナントの隣(?)街・レンヌに宿泊。狭くて冷房もなかったパリのホテルに比べて、空調(冷房)・冷蔵庫完備で3倍の広さはあるゴージャスで快適な部屋であった。

4日目(6月21日)-自由行動

盛り上がるジャマイカンレンヌからパリへ戻る。バスで5時間ほどかけた移動だ。途中のPAでクロアチアの方々と一緒になった。記念撮影をしているグループ、男性同士はTシャツの交換をしている。昨日の試合の結果が報じられていた現地の新聞は、日本とクロアチアのサポーターに買い占められた。バスの中で皆同じ新聞を読んでいたのが可笑しかった。

この日は本来ドイツ×ユーゴスラビアの試合を見に行く予定であったが、日本戦と同様チケットが入手できなかったので、代わりにアルゼンチン×ジャマイカ戦を手配してもらった。ホテルに荷物を置いてから、早速メトロで郊外の競技場に出かける。この日のホテルは端っことはいえパリ市内。移動も楽だ。
メトロにはだいぶ乗り慣れたが、各駅ごとに切符販売機の形が違うので戸惑ってしまう。機械を眺めていると、通りすがりの方が「ダイジョウブ?」と日本語で声をかけてくれる。フランス人はお高くて感じが悪い、ともっぱらの噂であったが、実際には皆優しくて感じがよい。皆さん胡散臭い日本人の怪しい英語とフランス語を気長に聞いてくださった。

アルゼンチン×ジャマイカ競技場はブローニュの森の端にある。周りは歌うアルゼンティーナと踊るジャマイカンで既に盛り上がっている。アルゼンチン・サポーターと思しき人の中には日本代表のレプリカ・ユニフォームを着ている人もいて、それを見ていた私が日本人とわかっただろう、手を振ってくれたりして嬉しい。スタジアムは年期の入っているもので、ナントに比べると汚く暗い。しかし国立競技場に良く似ていると思った。警備もパリであるためか厳しい。ボディチェックもしつこいほどだった。

ジャマイカが万が一にもアルゼンチンに勝てば、日本にまた決勝リーグ進出へ可能性が出てくるため、ジャマイカ・サポーターの真っ只中の座席は望むところ、という感じであった。スタジアムの中は地響きがするほどの応援で盛り上がっている。大きなスタジアム、近いピッチ、割れる声援、異国の人々──。W杯にやって来たんだなぁ、と実感する。
しかし試合内容が良くなかったうえ、ジャマイカのボロ負け。おまけに周りのサポーターも不愉快な人々に当たってしまったため、非常に後味の悪いものになってしまった。ジャマイカ人、なんか感じ悪いぞ。負けているとはいえ、試合の最中に帰ってしまうジュマイカ・サポーターには驚いた! いや、サポーターと言っていいのか?
バティストゥータのハットトリックが見れただけ、チケット代の価値があったのだと自分を慰める。

凱旋門を横から臨む試合後エッフェル塔へ向かったが、駅名を読み間違えて再び凱旋門に行ってしまった。角度を変えて見た凱旋門もなかなか良いものだったが、そこには勝利に酔うアルゼンチン・サポーターが大騒ぎしている姿が見られた。喧燥を避けて再びメトロに乗る。

ここからは平坦に見えるパリにも起伏があるらしく、メトロも地上に出る。エッフェル塔駅を出ると雨がちらほらと降っていたが、傘をさすほどではなかったのでそのままエッフェル塔まで向かった。
すでに夜も9時であったが、外はまだ明るく人通りも多い。何だか騒がしいと思ったら、エッフェル塔の下の広場で、アルゼンチン・サポーターがミニ・カーニバルを繰り広げていた。ジャマイカに勝って決勝リーグ進出を決めたためだ。羨ましいことだが、アルゼンチンほどの強豪でも1次リーグ突破はそれほどのことなのだな、と同時に思った。

エッフェル塔には、4箇所のチケット売り場と登り口がある。その一つに並ぶと、警備のお兄さん(ハンサム)に持ち物検査をされるが、ついでに「ワタシノココロハアナタタチノモノ。キスシテクダサイ」と言われた。片言だが日本語だった。一瞬耳を疑った。そのとき登り口を間違えて、歩いて上るところに並んでしまったことに気付き、「ノンメルシ」と言って逃げ出す。警備のお兄ちゃんがナンパだ。さすがフランス。次にエレーベーターでの乗降口に並んだが、ここは普通の警備員のおじさんで面白い出来事もナシ。少しがっかりする(笑)

エッフェル塔から街を臨む1エッフェル塔は東京タワーの色違いという印象があるが、もっと大きく見えて鉄骨の組み方もきれいで凝っている。フランスの芸術性をこんなところにも感じる。しかも日本の明治時代から建っているのだ。技術の差も感じた。

展望台にはやはり陽気なアルゼンティーナがおり、私たちの顔を見た途端に「ニッポン!(ちゃちゃちゃ)」をやりはじた。ビックリしたが、仕方がないので「アルゼンティーナ!」とコールし返した。ところがこれが1回に収まらず、2箇所の展望台を回って出会うたびに同じことが繰り返される。恥ずかしい・・・が、旅の恥は何とやら、よい思い出だ。

最上部の展望台、下りのエレベーター乗り場は人種のるつぼと化す。先刻のアルゼンチンの方々に私たち、ユーゴスラビアの方、ドイツの方、ジャマイカの方、中国の方、アメリカの方、などなど。この日試合のあった国々の方が一堂に会した形になり、ドイツの方が口火を切ってサッカー談義が始まった。
まずユーゴの方と健闘を称え合い(に見えた)、アルゼンチンの方に監督の話題を持ちかけてから、お互い決勝リーグに進出したねと話し(てたように思う)、私たちには日本は残念だったね、と言われたように思う(全部勘だ)。エレーベーターを待つ間の貴重な体験だった。ただ、私たちには急にドイツ語で話し掛けてきたのがふに落ちない。全然わからなかった。(バカにしてんのかー)

エッフェル塔から街を臨む2エッフェル塔の上でも、私の持つデジタルカメラが珍しがられていたようだが、下界にてついにアルゼンティーナに「譲ってくれ」と言われる。内臓メモリなので普通のカメラと違って「はいどうぞ」、とフィルムを出して本体を渡せるわけではないのでお断りしたが、アルゼンチン人は意外と金持ちなのだ。
彼とは最後に記念撮影をして別れた。妹にキスをねだって帰って行った。私はお呼びでなかったらしいが、陽気でジェントルメンな方々であった。(エレベーターの乗り降りの際にも、人込みの中でさりげなく背中を支えてエスコートをしてくれた。)「2002年に日本で会いましょう」なんて言えたらよかったのに・・・悔やまれた。

人通りも多く、セーヌ川を挟んでエッフェル塔の向かいにある宮殿ではまだバンド演奏などがされていたが、夜ももう11時半。メトロにも乗れないので、自力でタクシーを拾ってホテルまで帰ることに。身構えていたが、案外簡単だった(交渉したのは妹だが)。添乗員さんには、「パリではベンツやBMWのタクシーに乗れますよ」と言われていたので楽しみにしていたが、うっかり車種を見忘れた。しかし、乗り心地が良く内装もきれいでエアコンも効いていたので、高級車であることは確かだった。無愛想だが腕のいい運転手さんに快適に運んでもらう。
アルゼンティーナと記念写真ホテル部屋は窓が道路に面しており、これがうるさいではないかと危惧していたが、夜は交通量も少なく問題はなかった。その代わりにホテルの隣のカフェではバンド演奏が盛り上がっていてうるさかった。日曜日だったことと、その日の試合でフランスが勝ったことが重なったためと推測されたが、人ごとながら月曜日からちゃんと仕事に行けるのか気になった。
ちなみに、大きなデパート以外はたいていのお店が、日曜日はお休みである。

ありがちだが、シャワーのお湯が出なかった。この日も暑かったので、水に近いぬるま湯でも、まあいっか。

5日目(6月22日)-帰国

ノートルダム・ステンドグラス1昨夜のカフェの騒ぎが夜中の2時過ぎまで続いていたので、またしても寝不足。朝食に少し出遅れるが、同じツアーの方々も結構ゆっくりの朝食だったようだ。
食事中、同じツアーの水沼さん(某サッカー解説者に似ているので、勝手にこう呼ばせていただく)が、「何人かのグループでユーロ・ディズニーランドに行くが、一緒にどうか」と誘ってくださった。しかし、自由行動日をサッカー観戦のみに費やした私達は、市内の見残したところへ行きたかったので、お断りすることに。代わりに、ディズニーランドにいかない、チケット購入を手伝ってくれた男の子達と出掛けることになった。

荷物はホテルに預け、メトロに乗り込む。まずはシテ島、ノートルダム寺院へ向かう。駅を出てからの街並みが、ヨーロッパ的でとてもきれいだ。テレビでしか見たことない風景の中を、自分が歩いている。

寺院正面は現在改修工事中で、工事現場でお馴染みの幕に包まれている。あの荘厳な姿が見られなくて残念だった。しかし内部は普通に見学ができる。一緒に行った男の子達は前日にも一回来たそうだが、日曜ということもあり(礼拝などがある)奥までは入れなかったそうだ。この日は祭壇正面のピエタ像の前まで行けた。内部のステンドグラスや壁面の彫刻・装飾など、細かくて美しく、とても人間業とは思えない。感服した。

ノートルダム・南塔南塔には、ディズニーの映画でもお馴染みの「ノートルダムの鐘」がある。しかし観覧券を買い間違えて、鐘のところへは行けなかった。南塔の展望台どまりだったが、ここから見る風景もきれいだ。天気もよくて申し分がない。

休む間もなく、再びメトロに乗り込んでルーブル美術館へ。憧れの場所である。誰もが見学のためには1週間は必要だと言うが、少しでも拝まなければ気が済まなかった。
入場30分待ち。日本の美術館なら、そこだけで全てが収まってしまいそうな、広大なエントランスだ。入場料は日本円にして約1,000円。この規模の美術館でこの値段は、日本では考えられない安さだ。

時間もないこの日、同行男子の意向も無視して目標はただ一つ「モナリザ」。4つに別れた棟のうちどこにあるかは見極めたものの、中に入っていきなり方向を見失う。噂どおり迷路のよう。
前後左右もわからず、館内見取り図と窓からの風景を頼りに移動。途中でカフェを発見し、遅い昼食をとる。フランス滞在中、これまでまともな食事をとったのはセーヌ河クルーズだけだった(ホテルの朝食は別にして)。バケットのサンドイッチではあったが、ひたすら食べた。とにかくバケットもクロワッサンも、フランスのパンは美味しい。と、特筆しておく。
館内にはいくつかのカフェとレストランがあるが、このカフェは2階(3階?)のバルコニーにあり、入り口のある広場を見下ろす形になっている。風通しが良く気持ち良い。

ルーブル3時間はないが、道々にある収蔵品には、誰の何だかわからなくても目が奪われて足を止められてしまう。その量にも圧倒され、感覚が鈍ってしまいそうだ。先を急がずに本気で見ていったら、きっと倒れたことだろう。
そのうちになんとかモナリザのある部屋を発見。当然かもしれないが、他に比べて人が多い。美術館内は日本の美術館からすると無防備とも思える状態で、写真は取り放題だし、触ることも可能だ。しかし、モナリザはガラスケース入り・・・。照明やカメラのフラッシュが光ってしまって見にくかった。

目標を果たして満足。時間がないので即退出モードに入る。帰り道に「ニケ」の彫刻があり、儲けた。その後は美術館のショップでお買い物。収蔵品のレプリカのペンダントと置物を買った。絵葉書からアクセサリーまで揃う。ゆっくり見られれば、もっと掘り出し物があったかもしれない。
ここには郵便局もあり、日本の友人に絵葉書を出した。

ルーブル4次はお土産ショッピング。再度オペラ座へ向かい、プランタンなどのデパートを物色する。ホテルでの集合時間が迫り、大慌てだ。
しかし、思いのほか早く用は済み、モンパルナスの駅に戻ったときには多少ゆとりがあったので、タワーに上ることにした。
60階建てのビルの屋上に出られるのだ。周りに遮るものはなく、眼下に目いっぱいパリが広がる。気持ちがよかった。
パリも見納めだ──。

ホテルに集合し、シャルル・ドゴール空港へ向かう。いよいよ帰国だ。
途中、決勝戦が行われるというスタジアムの横を通った。前日に私達が行ったスタジアムとはまた別で、新しいスタジアムだ。遠目からの印象は横浜国際競技場に似ている。

免税店で買い物。チョコレート、お酒が安くて感動。1ホール約500円のカマンベール・チーズの安さには狂喜した!

6日目(6月23日)-東京へ

帰りの飛行機は行きと比べてあっという間だった。疲れて眠ってしまって、機内映画はとても見たかったのに、殆ど見ていない。途中室内灯が「消えない」というハプニングが発生。皆が眠っている中こうこうと灯かりが燈り、スッチーを慌てさせていた(笑)
添乗員さんも爆睡していた。今回は通常の添乗員としての仕事のほかに、チケット獲得に奔走していたのだ。本当にお疲れさまでした。

成田目前、「到着地の気温15度」のアナウンスに「寒い!」と機内騒然。パリから20度も気温が下がる。移動の距離を実感した。 

モンパルナスから街を臨む
モンパルナス・タワー屋上から、エッフェル塔を望む

PART II 旅の事情へ■



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